「インターネット老人会」って何それ、美味しいの?

最近Threadsを覗くと、妙に懐かしいワードが飛び交ってます。
「ICQ」「ジオシティーズ」「ホームページビルダー」…って、これ全部、「インターネット老人会」の会話ネタです。

「老人会」といっても、お茶菓子を囲んで将棋を打ってるわけじゃありません。
これは、「黎明期~普及期のインターネットに思いを馳せ青春を捧げた人々の集い」のこと。
もちろん私も会員です(Windows95世代)。

日本中がざわついた「Windows95」発売日

1995年11月23日、日本についに登場したWindows95。今の若者から見れば、ただの「昔のOS」かもしれません。
でもあのとき、日本はちょっとしたパニック状態でした。
発売日の11月23日、深夜の秋葉原に長蛇の列ができ、朝のワイドショーではパソコンソフトが大行列を生む異常事態として報道。
深夜の販売、謎のテンションのカウントダウン。まさに、Windows95は平成の黒船状態でした。

あの時、Microsoftが日本で打ったテレビCMには「Start Me Up(ローリング・ストーンズ)」が流れ、パソコン初心者も、職場の管理職も、そして当時高校生だった私も「なんかスゴいことが始まる気がする」と、根拠のないワクワクに満ちていました。

現在、47歳の私が高校を卒業したのは、1996年の3月。Windows95が発売されて間もなくでした。

Windows 95 の発売は、間違いなくIT業界にとって大きな転換期でした。

Windows95の価格は…高かった。

当時のパッケージ版Windows95の価格はおよそ2万5千円〜3万円台
これだけ聞くと安く感じますが、パソコン本体(富士通FMVやNECのPC-98)を含めると、一式で30万〜40万円!
1995年の大卒男性の平均月収は約38万円という時代。

つまり、パソコン=1ヶ月分の給料です!超高級品です!
それでも「未来に乗り遅れるな!」という空気の中、みんな清水の舞台から飛び降りるように購入していきました。

あの熱狂の裏には、ちょっと切ない時代背景があった

Windows95がもたらした「テクノロジーの夜明け」のような熱狂。しかし、その裏側には、実は不安と絶望の影がうごめいていました。

1991年、バブルが崩壊。土地神話は崩れ、株価は大暴落しました。
企業は次々とリストラを敢行し、銀行すら倒れる時代へ。「終身雇用はもう神話だ」と言われ始めた時代です。

そしてちょうどその頃、新社会人になるはずだったのが今の45〜50代。つまり、団塊ジュニア世代です。

この世代は、ただでさえ人口が多いうえに、超氷河期という最悪のタイミングで社会に出ることを余儀なくされた世代。

その影響は今も続いており、企業では「40代の中間管理職が極端に少ない」という問題にもつながっています。
バブル崩壊後の「就職難」が、30年越しで組織構造の歪みを生んでいるんです。

そんな不安定な時代に、突如として現れたのが「パソコン」と「インターネット」。
不況に沈む社会において、「数少ない未来の象徴」だったのかもしれません。

職場にも家庭にも、一気に「パソコン」が入ってきた

「これからは、ITだ!パソコンが使えないと生き残れない!」と、企業も家庭も大騒ぎ。
商業高校に通っていた私は、この波に乗らない手はない!そう感じていました。
当時、一番人気職だった「一般事務」ではなく「データエントリーオペレーター」での就職を選択したのは、間違いではなかったと当時17歳の自分を褒めてあげたい(笑)

  • 職場では「電子メール?FAXで十分でしょ」派と「いや、メールの時代だ!」派が戦争
  • 家庭では「親父のボーナスでPC買ったら、電話が使えなくなった」という悲劇が続出
  • 学校では「パソコン室」で使い方を習うも、先生が一番操作が苦手という現象が続出
  • Excelに出現する邪魔なイルカの消し方を調べる日々

それでも「未来っぽい感じ」がすごかった。何かが変わる…という直感だけで、私も含めて色んな人が、のめり込んでいきました。

実は私が初めて手にしたパソコンは、Windows3.1でした。
95が発売された数年後、少ないお給料と、子供のころから貯めてきたお年玉や高校生時代のアルバイトでためたお金を手に
念願のWin98を購入できたときのワクワク感。今でも忘れられません。

あの頃のWebは、不便の塊だったけど夢があった

インターネットに繋ぐには「ピポパポピポ…ピーヒョロロロ…ピコーンピコーン…ガガガ!」という接続音。
今では信じられないかもしれませんが、家庭用電話から電話線を抜いて(笑)パソコンに接続するスタイル。

接続中は電話が使えない。夢中になり過ぎて電話料金高騰!! 親が怒る。子は泣く。
お父さんは誤って??アダルトサイトを踏んでしまい、国際電話に接続!! 
翌月、よくわからない東南アジア系からの国際電話料金にお母さん発狂!! 家庭崩壊(笑)

今でこそ、スマホ1台で海外のニュースを見たり、SNSで外国の人とリアルタイムで交流するのは当たり前のこと。

でも、1990年代後半の私たちにとってはそれはまるで、魔法のような出来事でした、。

スマホなんてもちろん無い。SNSも、YouTubeも、Googleさえ存在していない。
そんな時代に、パソコン1台で、

  • 海外の写真が見られる!
  • 見知らぬ誰かと掲示板で会話できる!
  • メールが、手紙より早く届く!

自宅の四畳半が「世界とつながるポータル」になるなんて、誰が想像したでしょうか。英語が読めなくても大丈夫。
翻訳ソフトも怪しいながらも頑張ってくれたし、インターネットを通じて、地球が少し小さくなったような気がした。
そんな興奮と喜びが、あの時代には確かにあったんです。


Webサイトは背景がやたら派手で、謎のBGMも勝手に鳴り出す。
「あなたは〇番目のお客様です」と閲覧者を歓迎する流れる文字列と「リンクフリー/無断転載禁止」のお決まり文句。
CSSも今ほど発達していないから、レイアウトを作るのはTABLEタグ。

でも、あの頃のWebは確かに「自分の城」でした。
HTMLのタグ辞典を片手に、自作のHTMLで1ページずつ手打ち。
Photoshop?そんな高級品はないので、フリーソフトで画像を切り貼りしていた時代でした。
その後、「ホームページビルダー」という、今で言う「ノーコード」ソフトが誕生し、企業に限らず個人でもこぞって
趣味のホームページを作るようになりました。

私を含めて、あのころからWebに携わる人間は今でもHTMLコードがしっかりと頭にこびりついているのではないでしょうか。

今と比べて、何が変わった?何が変わってない?

今やAIがブログを書き、スマホ1台でサイトが作れる時代。でも、インターネット初期の時代から現代まで見てきたからこそ思うんです。

「届けたい人に、伝えたい想いを伝える」そんな根っこの部分は何も変わっていない。

HTMLの構造、h1〜h6タグ、alt属性、内部リンク。これ、今でも全日本SEO協会のSEO検定4級試験に出てくる内容です
つまり、「老人会の知識」が現代のSEOでも通用してるんです。

なぜ今「インターネット老人会」がバズってるの?

それはきっと、「あの頃の熱量を知る人たちが、今もWebに立ち続けてる」からだと思います。

技術の進歩だけじゃなく、「情報を届けたい」っていう人の本気と手間がそこにはありました。

Threadsで盛り上がる懐かしネタも、Webの進化を知る「語り部」としての証なのではないでしょうか?

インターネット老人会、それって最先端かもしれない

あの頃は、回線も知識もお粗末だったけど、ワクワク感と「創る喜び」は、間違いなく今より濃かった

そして私たち「インターネット老人会」の会員は、今も思ってるはず。
「Webの本質は、25年前から何も変わってない」と。

インターネット老人会検定も公開されております(笑)
もちろん、私は100点満点でした!
是非、皆さんも検定を受けてみてください(^^)
【インターネット老人会のクイズに挑戦!】インターネット老人会検定

インターネット老人会クイズ WEB制作編

投稿者プロフィール

平松由花梨
平松由花梨全日本SEO協会認定コンサルタント リンクウェブ代表
愛知県の商業高校を卒業後、IT業界に従事。
2018年Wordpressと出会い50社以上のWebページ制作に関わる。
1978年 愛知県出身
大学生・専門学生の息子2人を持つシングルマザー起業家。
趣味はソロキャンプ。